追悼 ジャンヌ=クロード

 このあいだ、まどさんの100歳を祝ったのに、今日は訃報。

 ジャンヌ=クロードと言っても、「誰? それ」という人も多いだろうけどれども、20世紀を代表する(もう21世紀だが)現代美術家クリストの妻で、実質的には彼のプロジェクトの全てに深く関わっていたパートーナーだった人。'70〜'80年代は、まだまだ「女性」というものへの偏見が強かったために、敢えてクリスト一人を前面に打ち出していたのだが、'90年代に入って、実は全てのプロジェクトは二人の共同制作なのだということを表明して、「クリスト&ジャンヌ=クロード」という名義での活動に変わった。

 僕らが学生の頃にも、彼らの活動は聞こえてきていたし、'90年代には茨城県の農村地帯と、アメリカはカリフォルニアの丘陵地帯に大きな傘を何本も立てるという「アンブレラ」というプロジェクトがあったので、記憶に残っている人もあると思う。茨城の傘が青色で、カリフォルニアのは黄色だった。それぞれ、何千本という規模。彼らのコンセプトは一言で言えば「景観を変える」ということだと思う。そこにあったものを包んで隠したり、そこに彩りを加えて、普段とは違うものにする。長くは続けられないのでほとんどの場合、会期は2週間。しかもそれにかかる費用は、全て自分たち持ち(これが何十億という規模なのだが、過去の作品や、計画の完成予想図を絵画や版画にして売ったそのお金……多分、世界中に大口のパトロンのような人たちがいたのだと思う……それにしても、の額だけど)。誰からの援助も受けず、つまり束縛もナシに自分たちのやりたいことをやる。ただし、実施場所との交渉には常に難しさがつきまとった。

 なんで、そうしたことをよく知っているかというと、僕は彼らの過去のプロジェクト(アメリカの谷に巨大なカーテンをかけたり、牧場に長大なフェンスを作ったり、パリのポン=ヌフという橋を梱包したり、マイアミの小さな島々をピンクの化繊の布で囲んだり……)を記録したドキュメンタリーのDVDの日本語字幕版を作ったことがあり、折しも来日した彼らに会う機会もあったからである。自分で言うのもなんだが、これらのDVDで語られる苦闘の歴史は、とにかく面白い。完成した巨大な作品も素晴らしい。

 彼らは場所は違うけれども、まったく同じ生年月日=1935年6月13日に生まれた。クリストはブルガリアで、ジャンヌ=クロードはモロッコで。それがやがて出会い、苦楽を共にするようになる(ジャンヌ=クロードはその前に一度結婚していた)。まさに一心同体とも言って良い二人だったが、プロジェクトの遂行のために、飛行機に乗るときには二人は必ず違う飛行機に乗っていたという。つまり、どちらかが死んでも、どちらかがプロジェクトを完遂するために。

 日本では次なるプロジェクトの紹介の講演をしに来たのだが(僕が見たのは3年くらい前だが、その翌年にも来たと思う)、二人とも「オレがオレが」タイプの人で、マイクを奪い合わんばかりに喋ろうとしていた。その様が微笑ましかった。そして質疑応答の時に、ジャンヌ=クロードが「質問だけを言って!」殊更に強調していたのも面白かった。シンポジウムなどでは、こういう機会に自分の話を始めてしまう人もいる(僕もそのタイプだったりする)。しかし主役はあくまでも彼らなのであって、また来ている人たちも彼らの話を聞きたいのだ。質問者が少しでも回りくどい話し方をすると間髪入れず「で、質問は?」とジャンヌ=クロードが突っ込んでいた。それはある意味で、全体の幸せのための行いだったのだと思う。

 どちらかと言えば、線の細いクリストが先に逝きそうに思えたが、現実は逆だった。しかし、最愛のパートナー、おそらくマネジメント関係も全て任せていた彼女に死なれて、果たしてクリストはこの後に控えていたアーカンサス・リバーと中東でのプロジェクトを完遂できるのだろうか。なにしろもう74歳なのである。力を落とすなというのも無理な話だけれど、このまま後を追うようにへたばってしまうことのないように、ただただ祈っている。

 二人のオフィシャル・サイト。

僕が作ったDVDのひとつ。

クリスト&ジャンヌ=クロード クリストのヴァレー・カーテン [DVD]

クリスト&ジャンヌ=クロード クリストのヴァレー・カーテン [DVD]