釜山旅行記 2日目

やっと2日目でございます。

起きたのは7時頃だったっけ? とりあえずTVをつけます。昨夜も少しは見てたんですが、NHKの海外用の電波以外は、もちろん全て韓国語の番組。わが家の子どもたちは寝起きがチョ〜悪いので、取り急ぎNHKの3chに相当するような、子ども向けのチャンネルを見つけ、それを流しておくことにしました。「お母さんといっしょ」みたいな、子どもたちを交えたスタジオ収録ものなど、やっております。キャラの一人がオナラをプープーだしていて、そのオナラの中から歌のお兄さんたちが出てくるという、なかなかシュールな設定でした。下ネタ大好きな時生は、もちろんウケてました。


窓を開けると曇った空の下、海がゴーゴーいっております。かなり激しい音がするのですが、防音がしっかりしてるのか、窓を閉めるとそんなに気にならない。しかし、朝ですから開けておきます。ベランダに出て、昨夜買ったパンや牛乳や煮タマゴ、バナナなどで朝食。そうそう、部屋がオンドル式といって今は夏なので床暖房は関係ありませんが、いわゆる板の間になってます(偽の板でしたが)。うちの子どもたちはベッドだと、寝相が悪くて落ちかねないので、敢えてこの部屋を選びました。自由に使えますしね。

9時すぎに石ちゃん登場。昨夜は別れたあと、また外に出かけてあたりを散歩したり晩ご飯を食べたりしていたそう。さすが20代! 今回が初海外ともなれば、いきなりホテルにジッとしてるなんてことは、そりゃあないですよね。

10時に昨日と同じ迎えのワンボックス+乗用車一台がやってきて、佐々木さん、スギョンさんらも登場。昨日のセンターに向かいます。外はちょっと雨まじり。昨日の夕方の渋滞はなかなか凄いものがありましたが、金曜の朝のこの時間ともなると、車はスイスイと流れていきます。

ラジオからは軽快なポップ。適度にヒップホップ、ラップなんかも入って、こういうのは世界中、どこでも、なんとなく同じ方向を目指すものですね。どの曲もスギョンさんは口ずさんでおりました。ヒットチャートというものがちゃんと機能してるような気がします。いや、日本でもそういうものは機能してるんだろうけど、もう自分がそういう種類の音楽から遠ざかっているから、単純に知らないだけなのかもしれません。

何しろカラオケ行ったって(年に1回も行きませんけど)、昔の歌か、全然舌の回らない英米ロックとかですもん、歌うの。晴子の就学前施設時代のパパ同士3人で、今も年に1〜2回飲みに行くんですが、シメはカラオケになることもある。後の二人は僕よりもさらに年上で。彼らも、なんか昔のロックとか歌っちゃってますねえ。レッド・ツェッペリンの「天国への階段」、間奏が長すぎます(笑)。トリで3人で「ウィー・アー・ザ・ワールド」(追悼マイケル・ジャクソン!)とか歌うんですけど、全員がブルース・スプリングスティーンの真似をやりたがる(笑)。これも参加アーティストが多かったせいか、けっこう尺が長くて、途中でだんだん歌うのが苦しくなってきます。

ウワ、また余談でスペース喰っちまった。スミマセン。


センターに到着〜。

あのー、おかしな話ですが、ホントにこの日も、自分たちが誰に会って、何をするのか、ということを、全然知らなかったんですよ。とりあえず、持ってきた車いすの贈呈式みたいなことをするんだろうな、と、それくらいは分かってましたが。それで、まだ車いすをもらう方のご家族たちが着いていないということで、しばらくセンタ
ーの中を見学。晴子が小学校に上がる前に妻や僕と一緒に通っていた施設を思い出させるような、子どもたち中心の保育をやってる部屋もあれば、もっと大人の、青年と言えるような障害のある人たちが何人か集まってミーティングをしている部屋もあります。障害のある人たちの日常生活を助けるためのさまざまな用具を触れるショールーム的な部屋では、車いすの修理や整備も行われているようでした。

佐々木さんから聞いた話では、韓国においては、こうした障害者のための施設は私立=民間によって作られたものがほとんどだそうです。様々な企業から寄付などを募って運営しているのだとか。それで、ようやく最近になって、国がそうした施設や団体に助成をするような動きが出てきたんだと。だから、日本のように必要としている人が誰でも車いすを作ることができる、という状態にはまだなっていないわけですね。ただ佐々木さんがおっしゃるには、「時間がかかってしまうのは残念だけれども、こうしたことが民間から立ち上がってきて、行政がそれを支援するというスタイルは、そう悪いものでもないんじゃないか」と。

そうですね。そう思います。国とか都道府県とか市町村とか、行政がやってくれてる日本。それは我々家族や当事者にとってはとてもありがたいことではありますが、関係のない人々は永遠に関係のないまま過ごすことができてしまう社会であるとも言えます。もちろん、民間がやるからと言って、誰も彼もが障害のことに感心を持ってくれるわけではないし、理解を示すわけでもない。それでも「民」のかかわる部分は日本よりは多いだろうし、なによりその立ち上げ、運営の基盤となるものの考え方や、苦労というものが、当事者のニーズを満たそうとする「リアル」な視点から始まるのではないか、と、これは勝手な想像ですが、そう思います。

え〜、実は、これを書いているのは8/22でありまして、この8/7に釜山で会ったご家族のうちの一家族が、「空飛ぶ車いすの里帰り」ということで、こちらの財団の招待で来日しております。母、時、石ちゃんの3人は、本日、会いに行きました。行き先は大森学園高校。ボランティアで車いすの整備をしてくれてる学校のひとつです。明日は、上野動物園→東京ドームシティの予定で、僕と時生と石ちゃんで行ってくることになってます。

さてさて、ようやく今日のミーティング・メンバーも到着。過去にこのプロジェクトで車いすをもらったインホ君とそのお母さん&弟くん、今回持ってきた車いすの中のひとつをもらうことになるガォンちゃんとそのお母さん、そして時生の車いすをもらうことになる(はずだった)ハヌルさんのお母さん(この日、雨が降っていたのでハヌルさんは来ず)。「はずだった」というのは、結果的にハヌルさんはかなり身体が大きくて、時生が乗っていた車いすではちょっとサイズが合わないということが判明したからです。なので、結局、新たな利用者に直接渡す、ということはできなかったのだけど、まあ、そこはそれ。


ミーティングでは、柴田や僕が日本の障害のある子どもたちの車いす事情を話しました。日本では助成でどんどん作ることができるとか、ここ数年で交通機関の受け入れ態勢も随分整って、車いすの人が外に出る機会が増えてきたとか。韓国の皆さんからは、「空飛ぶ車いす」のおかげで車いすがもらえて行動範囲も拡がって、それがまた歩行の助けにもなっている、というような話がありました。うちの子たちはまったく歩きませんが、例えばガォンちゃんなどは、支えがあれば少しは歩けるわけですね。車いすと併用してると。

ただまあ、これは日本でもまだまだそういう考え方が多いのかもしれないんだけど、どこか「歩く」ことをゴールに設定してるような空気を感じました。歩けてなんぼ、なるべく健常の人並みに……。わが家のスタンスはそうではなくて、「そんな歩くために訓練とかいっぱいする苦労とか時間なんか勿体ないじゃん。車いすでガンガン行っちゃえばいいじゃん」というものです。なんかね、血の滲むような努力をして歩けるようになりました、っての、好きじゃない。もちろん、そういうことを目的にして日々の生きる力にしている子どもや親御さん(結局、そういう風にさせるのは親だと思うんだ。で、子どもも、そうか〜、がんばんなきゃ……って刷り込まれちゃう)もいると思う。で、どんな程度でか達成して「障害があったって頑張ればなんでもできる」みたいな……。

だけど、現実にはやっぱりすごく大変なことだと思うのよ、そこに到達するのは。障害の性質によっては無理な場合もあるし(うちの場合もそう)。そうやって長い年月を訓練に費やして疲弊しちゃって寿命を縮めることだってある。別に自分の足で歩くことが、人であることの証でも何でもないわけで、そんな苦労のためにもっと楽しいことを享受できるはずだった子ども時代や、青春時代を奪われてしまうのって、なんか違うと思うんだよね。

と、そういうことを常日頃思ってるわけですが、さすがに、その場でそんな議論をふっかける空気でもなく、その場は和やかに。そしてお互いに持ち寄ったプレゼント交換が始まり、ニッシャサイの佐々木さんからは、インホ君一家やこのセンターのスタッフたちに、東京ディズニーランドの招待状が渡されました(渡し係はトッキー!)。先にネタバラシしてしまいましたが、ニッシャサイの招待で「空飛ぶ車いすの里帰り」企画があり、この2週間後に、インホ君たちは東京に来ることになっていたのです。

そして早速、ガォンちゃんが車いすに試乗し、器用にホィールを回して車いすを漕いでいると、普段は横着してなかなかそうしようとしないトッキーも、負けじと漕ごうとするではありませんか! いやー、こういうのって、大人がやれやれっていうより、同じ子ども同士(ガォンちゃんの方がちょっとお姉さん)の方がはるかにいいカンジになりますねえ。

みんなで食事を、ということで、また車に分乗し、連れて行かれたのは、表にはメニューも置いてないような、ちょっと高級なカンジのお座敷料亭? いや、次から次へと、これでもか、というくらいに出てくる韓国料理のオンパレードでちょっとビックリしました。食後に出たコーヒーが、当たり前のようにコーヒー牛乳のようなものだったのにもビックリ(笑)。

そこでガォンちゃんとトッキーはすっかり仲良くなり、手ェなんかつないじゃったりなんかして〜。


食事が終わって、インホ君一家はここでお別れ。また日本で会いましょうということに。その後、また2台の車に分乗して釜山水族館に行くことになりました。水族館は海雲台(ヘウンデ)という海水浴のメッカのビーチのすぐそばにあります。吹き抜けの、とは言わないか、階をまたがった大きな水槽の中を、イルカやら鮫やらがいっぱい泳いでました。

一通り見終わって外に出ると、朝のミーティングには来ていなかったハヌルさんがいつの間にか来ているじゃありませんか。みんなで少しビーチを歩いたり。


気がつけばもう夕方。車でまたホテルまで送ってもらって、ガォンちゃんともここでお別れ。寂しいワン。