エルメスの勝ち。

 晴子と銀座に出かけ、エルメスとシャネルに寄った。

 いったいいつからそんなオシャレさんになったんだ?と思われるかもしれない。いや、その前に、いったいいつの間にそんな金持ちになったんだ?と。

 いやいや、もちろんオシャレさんでもないし(ちなみに今日の僕の格好は、靴と帽子以外、下着に至るまで全部ユニクロ製品だった)、お金持ちでもないです。

 エルメスとシャネルの建物には、どちらも最上階にギャラリーがあるんです。しかも無料の。エルメスの方は内外の現代美術作家を取り上げることが多く(というか一定期間場所を貸して、その空間で何かをやれい、という感じ)、一方のシャネルは僕が見た限りでは写真展が多い。そして同じ展覧会が全世界のシャネルのショップを巡回してるようだ。

 ご存じのように、この二つのブランドの製品はとても高い。エルメスのスカーフは1枚7万円とかするし、シャネルのプラスティックでできた(ように見える)ブレスレットはひとつ5万円である。なんで、そんなこと知ってるかって? そのギャラリーに行く途中に横目でチラッと見るわけですよ。ほうほう、ってな感じで。

 つまり世のお金持ちの方たちがこうしたものをバンバン買ってくれる、そのおかげで、我々庶民は、無料でアートに触れることができるというわけ。パトロンは王様ではなく、近所に住んでるお金持ちの人たち。まことにありがたい。いいシステムだと思う。ほかのブランド・ショップも是非まねしてもらいたい。

 今日のエルメスの方はディディエ・フィウザ・フォスティノという建築家の人だったらしいのだが、さまざまなアーティストの素材を借りてなんかを表現していたらしい……正直ぴんと来なかった。

 一方のシャネルの方は、こういう言い方も失礼だが、世界で一番有名な写真家の一人アンリ・カルティエ=ブレッソンの妻であるマルティーヌ・フランク(こちらはまだ存命だ)の女性をテーマに集めた写真展。彼女自身の作品にそれほど興味があるわけでもないが、仕事でカルティエブレッソンのDVDを作ったりもしたので、まあ、なんとなく見ておこうか、という感じで(いや、正確に言えばシャネルの前に来るまで「そういえばシャネルでなんかやってるって新聞で読んだよなあ……でもなんだっけ?」と忘れていた)。

 だがシャネルに入って問題が。前に一人で来たときは意識していなかったのだが、ギャラリーのある4階に上がるためのエレベーターの入り口に到達するまでに階段があるのである。ドアボーイの人に「あそこに行くための方法がありますか?」と聞くと、「少々お待ちください」と言って、倉庫というか、もの入れから二人がかりでアルミでできた伸び縮み式のスロープ2本を出してくる。そしてそれで床を傷つけないためのゴムマットも2枚用意し、階段の上と下にそれを敷き、その上にスロープを設置した。このようなタイプのスロープを僕は初めて見たのだが、晴子の車いすの車輪の幅に合わせて並べないといけないのと、その2本の板というか溝のようなものの上を僕が歩いて押さなければならないのとで、かなり使い勝手のよろしくないものだった。もちろん見栄えも。

 「じゃあ、帰りもこれで降りればいいわけですね」と言うと、「ご用意いたします」。それでとりあえずエレベーターに乗った。店員の女性は「4階でございます」と言ってボタンを押してベーターの外に出た。ギャラリーに行くとは一言も言っていないのだが(笑)、彼らにはこの店で商品を買うお客と、タダでお金持ちの消費の余録に預かろうとする者の区別がハッキリとできるのだろう。まあ、そう言われても仕方のない風体である。なにしろユニクロなのだ。そうでない帽子と靴を足してもギリギリ5000円に達するかどうか、という出で立ちのお父さんである。だからといって彼らの態度が悪くなるわけではない。みんな一様に大事なお客様です、という風情は崩さない。

 余談だが、このシャネルのエレベーターは僕が今までの人生の中で乗ったすべてのエレベーターの中で最高の品質であると思う。とにかくなんの振動もない。滑り出しも、途中も、停止する前も。動いているのを疑うくらいである。中のイラストもいい。ハッキリ言って晴子は展示物よりもこのエレベーターの中の空間を喜んでいた。

 マルティーヌの写真は、まあ、プロの、アーティストの、写真、という感じで、残念ながら「おお、このショットはすばらしい!」と驚嘆するようなものはなかった。一枚でもそういうのがあればなあ。

 で、同じエレベーターで1階に戻ると、まあ、仕方がないのだろうけど、さっきのスロープはきれいに片付けられていた。僕たちの姿を認めたさっきのドアボーイが、またインカムでなにやら囁いてもう一人を呼び、さっきと同じ作業でセットをし、僕らはそこを降りていった。

 出がけにドアボーイに尋ねた。

「参考までに聞かせてほしいのですが、車いすのお客様はどれくらいの頻度で来るものですか? 月に何人とかそういう…」
「そうですねえ、本当に、月に2〜3人とか…」
「なるほど。どうもありがとう」

 なにしろタダで恩恵にあずかる身なのだから文句を言えた義理でもないのだが、しかし、車いすの人が月に2〜3人しか来ないのは、この建物がバリアフリーになってないってことをみんなが分かってるからじゃないのかな、って思う。

 調べたらこの建物ができたのは2004年のことだ。最近じゃん? いや、建物の中に起伏を作る、というのは、空間デザインのテクニックとしては常套手段だってことは分かってる。平坦だと飽いてしまうものだしね。だけど、もはや、車いすの人のアクセシビリティーを保障した上でデザインするのが常識の世の中でしょう。それは2004年の時点でもそうだったと思う。仮にそうでなくても、シャネルのような世界的な大ブランドが率先してそれをやんないでどうすんの? 年老いて車いすになった大富豪お婆ちゃんの顧客をいっぱい逃しているかもしれないよ。

 ちなみにエルメスの方は1階が完全にフラットになってるので、するりとエレベーターに乗れます。まあ、その前の部分がちょっと狭いのと、エレベーターそのものが車いす一台と介助者一人がギリギリ乗れるくらいの大きさではあるけれど(2台あるけど、その2台とも大きさは同じ)。

 というわけで、エルメスの勝ちです。おめでとう。