暑い暑い。

 昨日から3日間、会社をお休みして実家に戻ってきてます。南九州は梅雨明けしたそうで、山口県も今日は快晴、まだ湿気は少々残ってますが、ここいらもこのまま明けてしまいそうなムードです。

 それにしても蚊が多い。いっぱい殺してしまった……。蚊のみならず、アリやらカナブンやらチョウチョやら……蜘蛛の糸にもよく引っかかる。緑の多い家です、考えてみれば。

 なので今日の午前は、伸び放題になってた生け垣を、幼なじみの岩崎君とチョキチョキ。服や靴も彼のを貸して貰って、一仕事しました。



ザ・サム・スミス・ストーリー

ベン・フォールズを観に行った。先頃出たアルバム『Lonely Avenue』のツアーで。映画にもなった「ハイ・フィデリティ」や「アバウト・ア・ボーイ」の原作者、英国のニック・ホーンビィが歌詞を書いて、それにベンが曲を付けて歌った企画盤なんだけど、とてもいい。「ハイ・フィデリティ」は音楽オタクの哀しい生態を活写した作品で小説もジョン・キューザックが主演した映画もどっちもいいのだ。ホーンビィの書いたものには、どこか自嘲的な哀しさと、でもそれでいいじゃん、というトーンがある。ちなみに、彼には自閉症の息子がいる。

ベン・フォールズ、元々、観に行こうと思って、チケットの先行予約までしたのに、金を払い忘れてオシャカ。それでなんとなく忘れてしまってた。ホントにトシ取るとこういうことへの情熱がなかなかキープできないね。

ところがまったく別のきっかけで、この公演のことを思い出すことになった。先週末、facebookの中に"WORLD ON A WIRE"という映画のかっこいいポスターが目に付いた。これはファスビンダーが撮ったSF映画で、これからリバイバル公開でアメリカの名画座を回るらしい。そのソール・バスみたいな感じのポスターが気になって、作者のSam's Myth(Sam Smith)のサイトに行ったら、この人は米国のDVD会社クライテリオンのためにジャケットのデザインもいくつかやってる。クライテリオンはヨーロッパや日本の古い映画をとんでもないお金をかけて修復マスターを作り、それをリリースするという、まあ、僕のような仕事をしてる人間にとっては絶対に越えられない「憧れ」のような会社。マニアックな映画が多いのに、どうやって採算が取れてるのかもよく分からない。

それで彼のサイトで、自作のシルクスクリーンのポスターを何枚か売っていて、それがなかなか悪くない。15ドルとか20ドルという安価なものだったから、早速オーダーした(小さな我が家のみすぼらしい壁には、やけに絵や写真がいっぱい飾ってある。もうね、写真集とか画集とか買ったってさ、それをわざわざ開いてみるような余裕なんてなかなかない。だったら、壁に飾っていつも見られるようにした方がいい、いつからか、そんな風に思うようになった)。そしたらあろうことか、すぐに本人からメールが来て、「今、ベン・フォールズのツアーで日本に来てるから、送るのはアメリカに帰ってからになるよ」という。

彼はプロの絵描きであり、デザイナーであり、そしてプロのドラマーなんだ。

驚いたけど、これは何かの出会いの始まりだって予感がしてきた。前に本にも書いたけど、僕は「出会い」ということに関してはちょっとした天才なんじゃないかと思うようなところがある。とにかく、街を普通に歩いていても知り合いにバッタリと会うことがやたらと多いし、新たに知り合いになった人が、知人の知人だった、てなこともある。だから、何か、このチャンスは逃してはいけないもののような気がし始めた。「ああ、じゃあコンサート観に行くよ。ところで僕もDVDの仕事しててね、こんな作品やってるんだ」って返事を書いて何枚かのジャケット写真を添付した。こっちもデザインには気を遣ってるから、何かしら彼に響くところがあるんじゃないかと思ってね。そんなやりとりがもう一往復くらいしたところで、彼の目にルイ・マル作品のジャケットが止まった。日本のイラストレーター・ユニット100%ORANGEさんにイラストを描いて貰ったヤツ。なんと彼は100%ORANGEの大ファンで、日本で出てる本も持ってるらしい。その話を100%さんにしたら、「じゃあ、なんか手土産でも」とちょっとしたグッズとメッセージカードを用意してくれた。

で、お預かりしたそれと、自分たちが作ったDVDサンプルを持参して公演に出かけました。終演後にロビーで会おう、って約束になってたんだ。

公演はメチャクチャ楽しいものだった。ピアノ弾いて歌う人。先人にはリトル・リチャードやレイ・チャールズジェリー・リー・ルイスエルトン・ジョンビリー・ジョエルなどがいるわけだけど(ああ、プリンスも、もちろん)、多分、一番彼に影響を与えたのはジョー・ジャクソンだと思う(実際、デビューしてから数年後に共演もしてたはず)。起伏のあるメロディや、一曲の中でもかなりいろんな展開を用意したり。で、すごくパンクだし。激しい曲は足を前後に開いて立って弾く、というか、ピアノが打楽器である、ということを思い出させんばかりにたたき付ける。

ただジョーが常に並外れて優れたミュージシャンをそばに置いて、ステージでもとんでもない完成度を求めたのとは違って、ベン・フォールズはもっと現場のノリ一発、ラフさを身上としてる。会場に来ていた女の子の「がんばって〜」って歓声を真似したと思ったら、そこから思いついた予定外の曲を演奏し始めて、ギター弾きにコードネームを口で指示しながらやってしまったり。あるいは日本語で歌う曲を用意したり(「ヒロシマ」という歌だが、広島公演のステージでアタマから転落して血だらけになってしまったという歌)、観客に三部合唱を強要したり(これがちゃんと上手く行ったからビックリした)、カシオトーンみたいなチープなキーボードにあらかじめ入ってるビートのパターンに合わせて、さっきの「ヒロシマ」を何バージョンででも歌ってみせたり。バンドも慣れたもので、ちゃんとそれについて行く。おまけに曲によっては、メンバーが一輪車でステージをぐるぐる回ったり、林檎のお手玉をしてみたり。とにかく、何でもありのエンタテインメント・ショー。こんなに笑いに包まれたコンサートも珍しい。だからと言って音楽がおろそかになっているわけではまったくない。つまり、そうしたもの全て含めて、彼の表現だということ。我々が行った翌日のコンサートでは、観客に自分のリクエスト曲を書いた紙飛行機を折らせてステージまで飛ばさせ、そこから曲を選んで演奏したという(しかも全体の半分以上がそれだったって!)。

東京公演は、日、火、水の3日間で、僕が行ったのは火曜だったんだけど、やはり日曜の人見記念講堂が満杯だったようで、この日はけっこう空いていた。渋谷公会堂(今は渋谷区がサントリー命名権を売って「CCレモン・ホール」という名前だ!)の1階が埋まらない感じ。呼び屋の読みが甘かったということになる。そういうコンサートではなんとなく気まずいムードになりがちだけど、この日はまったくそんなことはなく、大いに盛り上がった。とにかく根強いファンの人たちが多くて、曲の中のキメのコーラスとか、手拍子がまるでリハーサルでもしていたみたいにバッチリ入ってくる。それほど熱心なファンじゃない僕としては(聴いてないアルバムも何枚もあるし)「うおうっ」とビックリさせられてしまったし、素敵な光景だと思った。ベンとファンの間には恐ろしく強固な関係が出来上がっているんだ。

アンコール含めてたっぷり2時間。新譜の中で一番聴きたかった曲"PASSWORD"をやらなかったのは残念だったけど(後でSamに聞いたら、新譜の中で唯一この曲だけ、まだステージでやってないのだそうだ)、大いに満足した次第。

終演後、ロビーのTシャツ売り場の前で待ってると、Samとベースを弾いていた人が現れた。早速おみやげを渡すと大喜び。「死刑台のエレベーター」のTシャツも入れていたのだが、日本のLサイズじゃあちょっと小さいなあ、と思うくらい、大きい人だ。でも決してマッチョな感じではなくて、メガネにネクタイの姿は、むしろドラマーっぽさは皆無。そこにもう一組、日本人の男女が現れて、それは大林千茱萸(ちぐみ)さんとそのパートナーの方だった。大林宣彦監督の娘さんであり、ご自身も映像作品を作られたり、映画のレビューを書かれたりしている。お父さんの'70年代のカルトムービー「HOUSE」の米国リバイバル(?)公開時のポスターと、DVDジャケットをSamが描いたのが彼らの縁の始まり。「じゃあ、ビールでも飲みに行かない?」とSamが言うので、行こう行こうということになる。

茱萸さんのお知り合いがやっているというバーにみんなで向かう。Samは、さっきまでステージで来ていた袖まくりシャツにネクタイという出で立ちそのままで、まったくの手ぶら。明日から6月だというのに、この晩はまるで4月の前半のような寒さ。だのに、彼はいっこう平気のようだ。
とにかくSamはイイ奴だった。アクがないっていうか、まったくもって普通の人というか。今回の極東ツアーはオーストラリアから始まっているのだが、そこが終わってベン一人だけがインドネシアの公演があるというので、他のメンバーは先に日本に来ていて、ちょっと時間があったという。それで何をしていたかと言えば、ひたすら古本屋やおもちゃのショップを回っていた。彼のサイトをよく見てみれば分かるのだが、ありとあらゆる「絵本」が好きなようだ。もちろん気に入ったものを全て買っていったらきりがないから、買えないものの表紙はiPhoneのカメラで片っ端から表紙を撮影していた(のを見せて貰った)。そして日本の絵本について言えば、写真を見せながら「この本って英訳版はないのかな?」と何度も聞いてきた。中を読みたいのだ。
ベンと出会ったのは4年前で、バンドの前のベーシストの紹介でオーディションを受けたらしい。サムはナッシュヴィルに住んでいるのだが、ベンも他のメンバーのほとんども、今はナッシュヴィルに住んでいるという。「サム、僕たちがナッシュヴィルについて知っていることと言えばだな……それはカントリー・ミュージックだよ」と言ったら、まあ、いろんなところでそう言われてきたんだろう、「うへえっ」という顔をしながらこう言った。「ナッシュヴィルにはね、そのジャンルにとどまらず、いいミュージシャンがたくさんいるんだよ」。
そしてナッシュヴィルにはThe Belcourt Theatreという名画座があって、彼はそこでカルトな映画の上映に携わったり、ポスターを描いたりしていたらしい(多分、今もしてるんだろう)。名画座といったって、たとえばここ日本であれば、配給会社が用意したポスターを貼ってそれで済ませるのがほぼ100%だと思うのだが、ここではサムが一回一回、オリジナルなポスターを描いて、それを貼っているらしい。その素晴らしい作品群はここで見られる。

そして、そこで大林宣彦監督の『ハウス』を上映し、そのために描いたポスターが、前述のクライテリオン社の目に止まり、DVDおよびブルーレイ化の際に、彼の描いたヴィジュアルを使おうということになった、ということのようだ。『ハウス』が自分がグラフィック・デザイナーとしての仕事を得るようになったキッカケだから、本当に感謝している、というようなことを言っていたし、この映画の実験性をどれほど高く評価しているかということを熱く語っていた。それは監督の娘さんを目の前にしているから、ということでなしに、心の底からそう思っているようだった。その後、彼は同じクライテリオン社から、ジョナサン・デミ監督の『サムシング・ワイルド』アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』のジャケットを手がけることになる。

とにかく、映画、音楽の話をしていればそれで何本でもビールが飲める、という人間が集まっていたので(実際に何本も飲んでいたが)、本当に楽しかった。しかも、相当にカルトというか、コアというか、通好みな趣味の人間が渋谷のこの一角になぜか集まっている。その不思議さ、面白さ。Samも本当に楽しかったようで、その夜のツイートに"2nd best night of my life?"とまで書いていた。まあ、確かに、旅先でこうした話をどっぷりする機会なんてそうないしね。しかも、仕事としてはバンドの一員として来ていて、そっちもちゃんと楽しんでくれた人間が、映画とかアートの話もしっかり、なんて状況はそうそうないかもね。僕らもホントに楽しかったよ。

そのお店はいろんなアーティストが訪れるようで、壁にはその人たちのサインでいっぱい。そしてSamにもなんか描いて、というので、彼は店の奥のスミに、『ハウス』の絵を描いたのでした。



ほっこり

今年度はなんとなく成り行きで、時生の小学校のPTAの副会長をやっておりまして(副会長は他に2人いる)、特にこの5月はいろんなイベントに出席しなくてはならなかったり。おまけに仕事の方がメチャ忙しく、今月は1人で3枚のDVDと、1枚のブルーレイディスクを一気に作らなくてはいけなくて、正直かなりてんてこ舞いの状況。

そんな中、久々に何もない週末という感じで、ゆっくり起きて、掃除などして、いつものように自由が丘のベンチで、大分遅いお昼ご飯を食べました。ここは、東急線自由が丘駅のガード下のベンチ。電車を真下から仰げる場所です。思わず見上げる3人。

しばらくすると近く(画面の奥)に、エレキベースと小さなマーシャルのアンプを持ってきた人があり、慎ましやかに始めた曲はスティーヴィー・ワンダーの"Isn't she lovely?"でした。大好きな曲なので、思わず妻と顔を見合わせ。

たまり場BBQ

少し前から知り合いになった、川崎市フリースクール「たまり場」の人たちのBBQ大会に参加させてもらいました。場所は多摩川のほとり、二子新地のあたりです。焼きそばにお肉に野菜に……次から次へと焼かれる食材、用意されたおびただしい酒類……通う子どもたちによるフォルクローレ・バンドの演奏……楽しい半日でございました。







震災写真。

 我が家の長年の友人、マゲジこと川上靖雅さんは岩手の出身で、仕事はカメラマンだったりヘルパーさんだったり。その彼が故郷に戻った折、被災地の大槌町の写真を撮ってきて、それが今、川崎市多摩区の区庁舎の1階ロビーに展示されている。今日、一家で見に行ってきた。マゲジもいた。

 写真はけっこう大きくプリントアウトされたものもあって、正直言って言葉もないです。マゲジに「どうもならんね」と言ったら、「どうもならんよ」と。写真では左右が切れてるわけだけど(天地もだけど)、「360度、この光景なんだよ」とマゲジ。

 その場にいたのは1時間くらいだったということだけど、最初は写真を撮ろうという気にはならなかったそうだ。そりゃそうだろう。だけど、カメラマンだし。落ち込まないためにも撮ったと言っていた。撮らずに自分の中にだけ抱えて帰るのが怖かったんだろう。そういう気持ちもなんとなく分かる。

 でも、もうフレームがどうとかじゃなく、ただただ泣きながらシャッターを切るしかなかったと言っていた。これだけの光景を前にすれば、構図を取る、なんてのはおこがましい。と言いながらも、撮れてるものにはそれなりの配置や着目があり、それもまた人間の行いだし、プロとしてずーっとやってきた人の習い性だと思う。

 テレビで映像を見たり、新聞で写真を見たりするのとはまたちょっと違ったインパクトがある。ひとつひとつの光景と自分が対峙することを迫られるとでもいうか。その時間を持てて良かったと思う。これが「仕事」かどうかは分からないけど、いい仕事だと思う。沢山の人が見入っていた。写真家の視点とかではなく、写っているものそのもの。それが写真の本質であるとも思う。

 18日までだけど、また余所でやる機会を探してるようだ。

花見

投票しにいった後、都立大学駅前からバスに乗って、砧公園までお花見に行ってきました。晴子が生まれた頃は世田谷に住んでいたので、砧公園は歩いて行けるような場所だったのです。

今年はこの土日がまさに満開、というグッドタイミング。昨日は小雨も降ってましたので、今日がピークですね。沢山の人、人、人で、ひととき、憂いを忘れました。

写真、iPhoneのインスタグラムというアプリで調色してますので、こんなカンジです。